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【本棚整理・読書感想】フラニーとズーイ(J.D.サリンジャー,村上春樹訳)

こんばんは。先ほどまで大雨が降っていました。昨日今日と東京都の感染者数が100人を下回ったとのことですが、外出自粛の効果が出てきたのでしょうか。<注:書評は本記事の後半にあります>

本棚整理

週末はもうあんまり暇だったもので、我が家にある私の本の目録を作成しました!総数は158冊!広くない家なので捨てなきゃなと思いつつ、月3冊くらいのペースで増えていると思います。大分類で分け、その割合を見てみると1位が文学で35%, 2位自然科学で27%, 3位がIT系含む技術・工業・家庭で12%でした。長らく理系をやってるので科学技術系が多いのですが、意外に文学系の本もたくさん持っていることが可視化されました。

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私が持っている本の分類。意外と文学系が多かった。
というわけで、私が心動かされた文学作品を今日は書評したいと思います。世界的な名著もあり、けっこうマニアックな本もあり。ところで皆さん、本を他人におススメされて本当に面白かった経験ってどれくらいありますか?私は、実のところあまりありません(すいません・・・)。本当に必要な本というのは、読む人やその人の置かれた境遇、時代によりまちまちだと思っています。なのでこれらの本はおススメというより、こんな本が世の中にあるよ、ということを皆さんに知ってもらうために紹介したいと思っています。
以下のような本たちが書評の対象になるわけですが、

  • 太陽の子(爆笑問題 太田光)
  • 意味がなければスイングはない、スプートニクの恋人(村上春樹)
  • 喜嶋先生の静かな世界(森博嗣)
  • フラニーとズーイ(J.D.サリンジャー)
  • モモ(ミヒャエル・エンデ)
  • ムーンパレス、オラクルナイト(ポール・オースター)
  • レ・ミゼラブル(ビクトル・ユゴー)

全てを語るには余白が小さすぎるので、まずはフラニーとズーイから語らせてください。

フラニーとズーイ(J.D.サリンジャー)

アメリカの作家J.D.サリンジャーの「フラニーとズーイ」(村上春樹訳)です。サリンジャーさんは「ライ麦畑でつかまえて」の作者として有名ですが、本書は彼の繊細な表現が村上春樹氏の巧みな翻訳によって日本に輸入された、隠れた名著です。主な登場人物は俳優・女優兄妹のズーイとフラニー、2人の母親のベッシー、それとフラニーの恋人レーンのたった4人。フラニー編とズーイ編から構成されていますが、大雑把なストーリーは(劇にしろ、詩にしろ)「本物」以外を受け入れられず、しかも自分自身も本物ではないと思い悩んでいるフラニーに、兄のズーイが電話越しに語りかけ、彼女を精神的苦悶から救い出す、というお話です。物語序盤、フラニーは大して好きでもない恋人レーンのインテリ気取りが気に入りませんし、彼が称賛する友人、大学教授らを画一的、気が滅入る、本物の詩人でない、ちっぽけで意味がない、などとこきおろします。そのくせ自分も決して天才ではなく彼らと同じ側にいることに深く悩んでおり、神経質になった彼女はデート中に失神してしまいます。救いを求めるため「巡礼の道」という宗教本に傾倒しており、休むことなく神の名前を口にしていれば何かが起きると信じ込んでいます。フラニー編はこのような文章で締めくくられます。

一人になり、フラニーは天井を見ながら身動きひとつせず横になっていた。彼女の唇は動き始め、声にならない言葉を形づくっていった。唇はそのまま休むことなく動き続けた。

正直言って、フラニー編だけを読むとフラニーはただのヤバい奴です。恐らく「イエス・キリスト」だとかそういった言葉を口にしているはずです。上っ面だけの凡人かもしれませんが、むしろデート相手のレーンが可哀そうになります。それでも私がこの本を好きな理由は、フラニーの「本物」を求める純粋さに共感する部分があるからです。私はかつて大学院で研究をしていましたが、他人の手垢のついた研究テーマは絶対にやりたくないと思っていましたし、独創的な研究をして社会に貢献したい、そして出世もしたい・・・と漠然と考えていました。ちょうどそのころに本書を読んで、登場人物たちの純粋さに少なからず共感したわけです。もちろん「本物」のみを求めるのは極論で、納得できなくても着実に実績を積み重ね前に進み続けるしかないのですが、当時神経質になっていた私はフラニーや兄貴のズーイ君に自分の姿を重ね合わせて読んだのでした。
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後半のズーイ編ではフラニーが自宅で寝込んでいます。心配した母親のベッシーが、フラニーを何とかするよう入浴中のズーイに頼みこむのですが、2人のやり取りがややこしくもまた洒落ていて、面白いのです。これはサリンジャーの文才によるものでしょうが、簡単なことでもいちいち大袈裟にいうズーイ、突如として「はやく結婚しておくれ」などと世の母親の願望を語り掛けるベッシー。時折あらぬ方向に脱線する2人の浴室での会話が軽妙に描かれています。
で、ズーイはソファーで丸くなってるフラニーを説得にかかるのですが失敗します。むしろ彼女を攻撃的な表現で攻め立てるような形となり、フラニーは部屋に籠ってしまいます。ズーイはすでに家を出た長兄たちの部屋に入り込み、何やら考えこみます。長兄たちの部屋に刻まれた偉人たちの名言に囲まれ、ズーイは意を決してフラニーに電話をかけ、熱く語りかけます。「君に今できるただひとつのことは、唯一の宗教的行為は、演技をすることだ。」云々。
そしてズーイ編はこのような表現で結ばれます。

彼女(フラニー)は煙草道具一式を片付け、自分が腰かけていたベッドの、コットンのベッドスプレッドを引っ張ってはがし、スリッパを脱いでベッドに潜り込んだ。夢のない深い眠りに落ちる前の数分間、彼女は静かにそこに身を横たえ、天井に向かってそっと微笑みかけていた。

フラニー編とズーイ編の締めくくり、この2つの対比が素晴らしい。絶望していたフラニーは、兄の言葉で救われたんです。ただとにかく、演技をするんだ、と。これだけと言えばこれだけなのですが、繊細なフラニーは優しい兄貴たちの言葉で救われ、健やかな眠りにつきます。私もこう思ったわけです、「くよくよ悩んでないで仕事なり研究なりをとにかくやるべ」と(こんな理解でいいのか知りませんが・・・)。この家族たちの繊細な魂、優しさ、ウィットに富んだ会話に共感でき、私はこの本が好きなのでした。長くなりましたが、お付き合い頂きどうもありがとうございます。