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【書評】喜嶋先生の静かな世界(森博嗣)で学ぶ研究作法

こんばんは。ゴールデンウイーク中はひたすらデータ解析をやっていたので、息抜きをしたい気分です。というわけで久しぶりに本の書評をしたいと思います。以前本棚整理をしたときに、自分この本好きだったなぁと思いだす名著を何冊か見つけたのでした。そのうちの一冊、森博嗣の「喜嶋先生の静かな世界」の書評をします。一言でいうとこの本は、大学で研究にいそしむ院生のストイックでハードボイルドな研究生活記録です。本作を読むと、研究とは何か、学部・修士・博士の違いはなにかということを学ぶことができるので大学院生には非常におススメできます。また文学作品として見ても完成度が高く、美しい作品なので文理問わず楽しめる名著だと思います。

(以前の本棚整理とサリンジャー著「フラニーとズーイ」の感想はこちらから)
dajiro.hatenablog.com

喜嶋先生の静かな世界

作者の森博嗣は、おそらく「すべてがFになる」というミステリー小説でもっとも有名な作家だと思います。しかしこれ以上の森博嗣の最高傑作だと私が勝手に思っているのが、この「喜嶋先生の静かな世界」です。

子供時代~大学の学部生活

物語の主人公は小学生のころから文字を読むのが苦手で、その代わりに図書館で難しいサイエンスの本を読みふけっているような子供でした。高校までの学校の授業はとても退屈だったので勉強にも熱が入らず、得意だった数学と物理だけで勝負できる大学を受験し無事合格します。大きな理想を持って入学しましたが、教科書に書いてあることだけが説明されるだけの大学の講義にひどく幻滅してしまいます

しかし、大学4年生になり研究室配属されると、研究の面白さに気が付き徐々にのめりこんでいきました。コンピュータの扱いに適性があると彼は感じ、また博士課程の優しく変人な先輩・中村さんの指導を受けながら、今までになかったほど物事を深く考えるという経験をします。このころになると大学への不信感が少しずつ払拭され、トンネルの先に明るい出口が見えるような感覚を覚えます。

卒業論文も人より早く完成させました。普通は卒論を出した後は仲間との海外旅行の計画など立てたりするものですが、彼の頭には研究のことしかありませんでした。そんな彼の性格を象徴するような、以下の一文が非常に印象的です。

北極のオーロラも見たかったけれど、それよりも、その現象について書かれた専門書を熟読する方がずっとオーロラを体験できるだろう。僕は「体験」とはそういうことだと思っている。

修士課程の生活

修士課程に進学すると、アメリカへの長期出張から帰ってきた喜嶋先生が登場します。物事をストレートに表現するため反感を買うこともありますが、主人公はそんな喜嶋先生の研究者としてのあり方に好感を覚えます。喜嶋先生との議論を通して、研究とは何か、ということについての理解も深まっていきます。研究も単に課題をこなす段階から、自分で課題を探す段階へと少しずつステップアップしていきます。

喜嶋先生には喜嶋語録なるものがあります。これは作者が学生時代に指導教官から言われた言葉でしょうか、それとも自分の発想でしょうか。いずれにしろ、研究の真実をついていると思います。

「だいたい、固有名詞の数が増えるほど、論文は下品になる」

「既にあるものを知ることも、理解することも、研究ではない。研究とは、今はないものを知ること、理解することだ。それを実現するための手掛かりは、自分の発想しかない」

喜嶋先生によれば、壁を登り切ったところにあるものは、やはり壁だという。こんな会話をした覚えがある。
「この問題が解決したら、どうなるんですか?」
「もう少し難しい問題が把握できる」

また、このころから主人公の思考はますます研究へと集中し、研ぎ澄まされていきます。ただ純粋に思考のみを行う。それを、一瞬死んでいるのかもしれない、と表現します。このような感覚は私たち読者も、程度の差こそあれ体験したことがあるのではないでしょうか。例えば朝の集中力が高い時間、もしくは大切な試験中など。何かに完全に集中していると難しい問題が解けたり、あっという間に時間が経ちます。その時間を経験していないと錯覚するわけですから、見方によると一瞬死んでいると解釈しても良いのではないでしょうか。あるいはタイムスリップに似ているのかもしれません。

研究のレベルが上がり、着想や閃きが求められるようになります。ゴールが見えておりそこに向かう営みを彼は「労働」と呼びます。一方で研究とはゴールのない世界を手探りで歩くようなものであり、このことに気が付き始めます。

そして、学会の手伝いをしているとき、喜嶋先生が言った以下のセリフに主人公は感銘を受けます。研究や科学の純粋さを良く表した名言だと思います。

僕が使った王道は、それとは違う意味だ。まったく反対だね。学問に王道なしの王道は、ロイヤルロードの意味だ。そうじゃない。えっと、覇道というべきかな。僕は、王道という言葉が好きだから、悪い意味には絶対に使わない。いいか、覚えておくといい。学問には王道しかない。
・・・
この王道が意味するところは、歩くのが易しい近道ではなく、勇者が歩くべき清く正しい本道のことだ。
学問には王道しかない、それは、考えれば考えるほど、人間の美しい生き方を言い表していると思う。美しいというのは、そういう姿勢を示す言葉だ。考えるだけで涙が出るほど、身震いするほど、ただただ美しい。悲しいのでもなく、楽しいのでもなく、純粋に美しいのだと感じる。そんな道が王道なのだ。

良いですね。理論家となって大学で教員をしている私の友人は、学生のころ「深淵を見たい」といって数学系の大学院に進学していきました。それに近いものが感じられます。

博士課程の生活

修士号を無事取得し、主人公は博士課程に進学します。研究テーマを自分で設定する必要がありますが、主人公はとあるアイディアを思いつきました。それを喜嶋先生に話すと、見る見るうちにアイディアが膨れあがり、二人で数式を書きまくり、気づけば外が夜になっていたという稀有な体験をします。これが博士課程の研究を形づくる骨格となり、その後の教員としての研究生活の原点になります。完全なフロー状態ですね。

喜嶋先生は急に立ち上がって、コンピュータ出力用紙をテーブルから引き寄せる。その用紙の裏を使って、そこに式を書き始められた。三色ボールペンの青だった。
それから、どれくらい時間が経っただろう。信じられないかもしれないけれど、たぶん8時間くらいだった。途中で、一度トイレに行っただけで、食事もしなかった。午前中だったのに、気が付いたら夜になって、窓の外は真っ暗だった。

また、博士課程に進学すると後輩の指導をしなければいけないので責任も大きくなります。また多くの友人が卒業していくので、孤独を感じる博士も増えてきます。本編のこの辺の描写はリアルですね・・・。読んでいて私は自分の過去を振り返りました。同期の博士の友人が数人いたため寂しさは感じませんでしたが、研究するほど自分の無知さが良く分かるようになり、修士課程の時に感じていた「努力さえすれば自分ならなんでもできる」という根拠のない自信は博士課程の生活の中でほとんど消えたように思います。それを大人になったと解釈することもできますが、無知ゆえの強さを失ったような感覚もあります。

研究生活は多くの問題に直面するため精神的には多くの浮き沈みを経験しますが、外から見る分には研究者の生活は静かでしょう。主人公はストイックに1日17時間研究しますが、体調を崩さないようにコンスタントに、規則正しい生活を送ります。毎日が平穏に、とても静かに過ぎていく、と自身の生活を形容します。それは喜嶋先生も同じことです。そのクリーンさを、主人公はある種の理想だと感じ始めます。

喜嶋先生ほど、クリーンでサイレントに生きている人を、僕は知らない。探せば沢山いるはずだけれど、きっと、透明で無音ゆえに、見つからないのだろう。先生だけは、たまたま僕がすぐ近くにいたから、存在をしることができたのだ。

この1文こそが、本作のタイトル「喜嶋先生の静かな世界」そのものを表しています。

教員生活

もうお気づきのように、この主人公は極めて優秀な院生です。卒業後はすぐに助手のポストにつき、結婚もし子供も生まれ、海外留学や昇進も経験します。しかしその生活の中で雑事に追われ、かつての純粋な研究生活が失われたことに気が付きます。

子供も大きくなり、日曜日は家族サービスで潰れてしまう。大学にいたって、つまらない雑事ばかりが押し寄せる。人事のこと、報告書のこと、カリキュラムのこと、入学試験のこと、大学改革のこと、選挙、委員会、会議、そして、書類、書類、書類、・・・。
いつから、僕は研究者をやめたのだろう?

喜嶋先生がどのような人生を歩むのかは詳細に描かれていませんが、喜嶋先生は今もどこかで学問の王道を歩み続けているのだろうと思いをはせながら本作は幕を閉じます。

おわりに(私の感想)

本作を読むと研究生活の中で味わう様々な感情をトレースできるので、(トップ層の)研究者の極めてリアルな研究生活記録と言えます。また研究のイロハを喜嶋語録や主人公の気づきから学べることも、多くの大学院生におススメしたい理由です。
以下、私の本作の主人公評です。主人公は、優秀でもあるんですが、非常な幸運にも恵まれています。これだけ研究のことばかり考えているのに何故か恋人はできるし、自分を導いてくれる教師にも出会うし、その後の研究生活の柱ともなる研究テーマを博士課程で見つけるし。これだけの実力と幸運に恵まれた人物はほぼいませんよ(いないとは言いません)。私は学生時代にこの本を読んで、1日17時間没頭できるほどの優れたテーマを見つけたいなぁと思っていましたが、ついぞそのようなテーマとは出会えないまま卒業を迎えました。一方で、学部生の時に先生からもらったテーマが大当たりして、院生の時にサイエンス誌に論文を投稿してしまう人もいるわけで、世の中は不公平やなぁ、と思うわけです。なので、架空の人物とはいえ私は本作の主人公が羨ましくて仕方がないです。ただ、本作で語られる研究生活のストイックさ、純粋さがひたすらに美しいとも感じます。そこが、研究者でもない私が本作を愛好する理由です。

最後に、本のあらすじと全く関係ありませんが以下の文章が面白かったのでメモりました。

テンソルというのは、ベクトルの親分みたいなものだ。