こんにちは、Dajiroです。今日2020年6月19日は私にとって20代最後の日です。だからといって何か特別なこともしていないのですが、記念に日記を書くことにしました。
日記を書くというのは、ふだんの日常の中ですごく特別な行為で、何かもやもやしたり、思考をすっきりさせたいときによく日記を書きます。まさに20歳のころから始まった習慣で、漫然とした思考を文章化することで、初めて分かったとか理解したという感覚が得られます。
私の20代は大学(学生生活)、大学院(研究生活)、民間企業(社会人生活)の3つのフェーズに分けて考えると整理しやすそうです。それぞれ振り返ってみます。
大学生
大学生のころは読書にすごくハマっていて、トルストイとかゲーテとか小林秀雄とか、文学と呼ばれるものにぞっこんでした。それと同じくらいの熱量で物理や工学の勉強もかなり頑張っていて、何か大発見をして世の中を変えられるような仕事をしたいと思っていました。当時は、文理の壁を作らずとにかく幅広く知識を吸収することに熱意を感じていて、お金とか、恋人作りとか、そういう現実的な問題の重要度はかなり小さいものでした。ちょっと変わった大学生ですよね。それと、バックパッカーとかもやってました。ベトナムなどの東南アジア、それとスイスあたりのヨーロッパとか。東南アジア旅行の方が楽しかった記憶があります。とにかく、未知なる世界への好奇心に溢れた時代を過ごしていました。
大学院生
大学院に入ったのは割と最近のことのようにも感じられますが、もう7年前です。修士のころは論文を書いたり国際学会に出たり、割とイケイケでした。今思うと大いにイキッた、生意気な学生でした。怖いもの知らずの世間知らずです。博士のころにちょっとつまずき、研究の難しさを痛感しました。いくら考えても面白い研究テーマが思い浮かばない、考えすぎるあまりどんな研究も重要には見えてこなくなりました。実際に選択した自分の研究テーマは最盛期を過ぎた部分があり、重要な研究はほぼなされた感のあるものでした。中々論文になるようなネタが出ない日々が続き、時代の流れを読む、というのは大事だと身をもって学びました。時代の流れに逆行した、または時代遅れのことをやるのは余程好きでもないとあまりにしんどいことを痛感しました。その結果、人生を通して勉強をし続け、自分の専門性をダイナミックに変えていかなければ生きていけないんだという信念のようなものを得ました。卒業するころにはアカデミアに対する執着もなくなり、とにかく新しいことをやる、それならAIだ、と思うようになっていました。
また、博士課程のころに出会いがあり、恋愛をし結婚もしました。それまで修道士のようなストイックな、そして孤独な生活を送っていたのですが、生活の中に彩りが生まれ始めたのがこの頃です。目標をもって自分を追い込むのもいいが、もっと楽しんでも良いだろうと思うようになりました。大学ではポストの獲得や経済的自立が出来るかやや不安があったので、就職をすることに決めました。
社会人
二十歳のころには考えられなかったことですが、博士のころからAI, AIと叫ばれるようになり、私も見事にその波にのまれ、AIやろうと思ってとあるIT企業に就職しました。元々機械工学系の大学学科だったのが、材料になり、AIになり・・・。人生は本当に分かりませんね。会社では、重要な発見や社会貢献といった難しいことはあまり考えず、とにかく大好きなデータ解析の技術を磨くことに集中していました。今でこそ仕事を取る、お客さんとネゴするみたいなことは意識していますが、それは最近のことです。基本的には好きな作業をすることを目的として今の会社でそれなりに楽しく働いています。
二十歳の自分が、この文章を読んだらどう思うかと考えます。なんや、何事も成し遂げ取らんな、と思うかもしれません(生意気だったので)。だけど、自分なりに考えてその時代時代の注目技術、そして自分の適性を考えながらキャリアを積んできたと思っています。一本道では全くないですが、楽しくもないことをやり続ける不幸な一本道よりかは遥かに有意義だと思います。技術は変わるし、自分も変わるし、自分にとって一本道というのはほぼ幻想に近いものです。だから、そう悪くない10年間だったぞ、と昔の自分に言いたいと思います。
次の10年間で自分の人生に何が起こるのか、まったく予想はつきません。過去10年が予測不可能であったように。とりあえず、楽しく生きていきたいと思います。